ボンジュール!
nyamazakiシャンデリアです!

小銭王としての成長記録を日々をつづっていきたいと思います。
出来うるかぎり、くだらないことを!
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アンダルシアの風

 先ほど、辛気くさい病気の記録を記載しましたが。。。

来週からスペイン、アンダルシアの風に吹かれてこようと思います。

他人からどうおもわれてもううう、き〜〜にしな〜〜〜〜い〜〜〜♬

0日間なり。
スケッチをしてきます。来年の展覧会はグラナダで連作にするつもり。

成田
→アムステルダム経由
→マドリッド(2泊)
AVEでマラガへ。
マラガ1泊。(パラドール マラガだ!!)

その後、バスでグラナダ。(パラドール アルハンブラだ!!)
その後、夜行列車でバルセロナへ。
バルセロナ3泊。
→アムステルダム経由成田。

上記で税金こみこみ17万円弱。
いやっほう!すげえだろ。(誰に自慢や)
学生旅行以下の低予算。
毎晩×2ヶ月、AVEやbookingのホームページに行って、
早割をまち、狩人のように行動しました。

楽しいたびになりますように。

来年はエゲレスに行きたい。

ていうか、仕事おわるんか。われ。

いや終わる。
引き寄せるのだ。
今は、今年の仕事が終わる途中なのだ・・・。
皆様のご協力に感謝し、気持ちよく旅行をするイメージ。。。
ひきよせるのだ。。。


冒頭の写真は昨冬おとずれたモンサンミッシェルから見た海岸。
潮が満ちてきてる様子。
潮の流れがえも言われぬ美しさ。
人生10本指に入る、美しい色彩です。







亜急性リンパ壊死症


もはや完治したので記録。

約1ヶ月前、急な不明熱のあと、約2週間以上38度以上の高熱とひどいリンパの腫れにさいなまれました。血液検査の結果、亜急性リンパ壊死症か、EBV(最近の感染では無く、子供の頃のやつみたいだ。そこまで分かる現代医学凄い!!)のどちらかと診断されました。
おそらく亜急性リンパ壊死症のようです。

免疫下がっている、若い?女性の皆様がかかりやすいとのこと。
発熱が長期にわたっている方は、早めに病院に行ってください。

++++++症状の記録+++++++

●序盤
2010年11月中旬、「関節がいたいナ〜」
「おっと熱デテきたYO」っとおもったら、あっという間に39度超えした。
わたくし、平熱35度台なので、「おお!!ついにインフル様の襲来か?!?!」と病院で検査したが陰性。
また、発熱が夕方からであり、日中はなんとなくお茶を濁せたので会社にも行っていた。
風邪なら一週間でなおるだろうと考えたのだ。
血液検査の結果、白血球が減ってたので、抗生剤(クラリシッド的なの)と解熱剤(カロナール)を投与することに。

●5日経過。
睡眠時高熱が下がらず、毎夜38〜39度台をマーク!!
次第に体力が失せてきていよいよおきあがれなくなってきた。

寝てるときは凄くうなされるように。
まるでボルデモートに苦しめられるハリ^ポッターのようだった。

病院では吐き気止めと解熱剤と、新しい抗生物質をいただくが、発熱は止まらない。
このころ、ほとんど食べれなくなり、アクエリアスで生活するようになる。

●1週間経過。
睡眠時高熱が下がらず、毎夜38〜39度台をマーク!!
さすがに熱疲れがひどくなってきた。つらいというより疲れてきた。

もう6キロもやせていた。1週間で6キロやせると結構ひどい。
もともとやせてはないので、6キロやせると
『普通の女の子」になってしまう!聖なる力を失ってしまう!』などと
無駄口をたたく余裕だけはある自分が恨めしい

這って、病院にいくと「髄膜炎」を疑われ近場への大病院へまわされた。
そこで骨髄採取したが陰性。
再度、血液検査の結果、単核球が減少していることからEBVを疑われる。
さらに詳細な血液検査へ。

骨髄採取、子供の頃やったことがあり、激痛で泣き叫んだことがある。
あれから27年経っているのに、全く痛みが軽減されていない。
この分野の技術革新はないのか?!?!と現代医学に疑問をモツ。
ちなみにこの日も激痛だった。
もう泣く力も残ってないと思ったのに、泣き叫ぶことが出来た。
「もう疲れた」と泣き叫びました。

このころ、もはや抗生物質は全く意味がなく「ウイルス性」と診断され
「解熱剤のみの対処両方」へ変更。
吐き気止めの点滴と、吐き気止め「プリンペラン」、カロナールによる対処療法で過ごす。


●10日経過。
睡眠時高熱が下がらず、毎夜38〜39度台をマーク!!
朝、根性で出社できそうだと踏んだ私は、会社へ電話したあと出社を試みた。
しかし、30歩ほど歩いたときから目眩と吐き気が襲い、行き倒れ寸ゼンになった。
結局、最寄り駅で救急車を呼んでもらう。人生初救急車なり。

救急車の中で、ドラマ「救命病棟24時」がこだまする。。
「進藤先生!急患です!」テレレr!!テレレレ!(電話の音)
「小島!軽症の患者は後回しだ!」テレレレ!!テレレレ!
(わたし、多分軽症。。。)
熱で妄想も絶好調になる。

病院にて、再度血液検査と、レントゲン(縦横)をやる。
内蔵は大丈夫そうとのこと。脳にも蟲がいないとのこと。
この次点で「ebv」を疑われる。完治1ヶ月の診断。ゲゲゲ!!!

「完治1ヶ月とか、会社つとめの社会人に簡単に言わないでください。しかも対処療法以外の提案とかないんですか?
こんなんじゃ、社会復帰できませんよ。」と医師に逆切れしてみる。


この日。点滴で超回復した私は、久しぶりに1時間だけ勤め先へ顔を出す。
上司や同僚に経過を報告する。
そこで上司から「1週間の自宅療養指示」をいただく。職場の皆様ありがとうごぜえます。
1週間ねたきり生活スタート!

●12日経過。
解熱剤である程度コントロールできるように。37度台を推移。
このころ、会社の皆様が差し入れを持ってきてくださり、栄養状態がよくなてきました。
このご恩はいつかどこかで・・・!

●2週間経過。
解熱剤である程度コントロールできるように。37度台を推移。
そろりそろり出社することにした。皆様どうもありがとう。
定時でかえることに。

病院で血液検査の結果、上記の診断が下る。
全身のリンパがひどくいたい。
このころから、ステロイド剤と解熱剤を併用することに。
ステロイドを飲んでから、すごくラクになった。
ただ、ステロイド(5日間)をやめたとたん、悪化。
その後、ステロイドの副作用と戦うことになる。

また、このころ気づいたが、10日以上お通じがなく、毎晩下剤をのむことになる。
それでも出ない。。。。

●3週間〜現在。
本日で約1ヶ月。今日も病院で血液検査してきた。
白血球が増えてると良いなあ。
相変わらず疲れやすい。
副作用で、全身がむくみ、顔じゅう発心が出た。
リンパは相変わらずいたい。
ひどい便秘だし、生理は20日以上おくれてます。
出かけても、2時間くらいで立ってられなくなる。こまったもんだ。

でも体重はすぐ戻った!!!!!!!!!!!!!!!!!

++++++++++++

今回、なぜこのタイミングでウイルスにかかったかは分からない。
9月は○●◎時間ペースでサ○ビス残業とかしてたから?!とか
いろいろ考えたけど、決定だが無い。

ただ、就職してから7年。
毎晩夜中に帰宅して疲れきって生きる為だけに食事をし、
およそ健康的な生活から離れていたため、免疫が下がっていたのは分かっていた。

精神的にも体力的にも正直、今回こそ、もうだめだと思った。
熱が下がってよかったです。


+++++余談+++++
高熱が続き、食欲が無いとき、「せめてたべたいものなら食べれるかも」と思い、
自分の心に耳を澄ませたところ・・・・
なんと浮かんだのは「寿司」だった。
生まれて初めて、『『銀のさら」とやらを注文してみた。
寿司はうまかった!!!

その後、会社の皆様が自宅まで救援物資を持ってきてくださる際に「寿司」をリクエストした。

自分が、最後に本当に好きな食べ物がわかって本当に良かったです。

乱文長文、失礼しますた。